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2023年10月歳時記

2023.10.02

10月の行事をざっと見てみよう。1日は、旧暦の8月17日である。十五夜、中秋の名月、それこそ月見て団子の満月の夜は、9月の29日だったから、それから二日が経っている。北海道では鳥獣の狩猟が解禁となる。労働衛生週間と共同募金がはじまる。東京の駅近辺では、学生さんが募金箱を胸に掲げて、助け合いの寄付を呼びかける。法の日、都民の日でもあるが、あまり知られていない。7日から9日まで、長崎くんちがある。くんちの名前は、旧暦の9月9日(くにち)、旧の重陽の節句に由来するらしい。博多くんち、唐津くんちと並んで日本三大くんちとされるが、いずれも地元の神社の秋祭りである。9日からは、世界郵便デー、国際文通週間が始まる。クリスマスカードを出せる海外の友人が何人いるかで、外国との交際度の尺度とすることができるから、外国人の友人の名簿や名刺を整理する時期になる。10日は、例年であれば、1964(昭和39)年の東京オリンピック開会を記念して「体育の日」と呼ばれる国民の祝日であったが、横文字で「スポーツの日」と呼ぶように法律が変えられた。今年は、10月9日がスポーツの日である。11日には、日蓮宗の大本山である池上本門寺で御会式がある。12日は芭蕉忌である。松尾芭蕉の辞世の句は、旅に病んで夢は枯れ野をかけ廻る、である。14日が鉄道の日で、15日には、熊野の速玉大社の祭りと姫路のけんか祭りがある。17日には伊勢神宮で神嘗祭がある。日光東照宮の秋祭りもある。18日は靖国神社の秋祭り。19日には日本橋べったら祭りがある。関東地方全体から、人が集まる。地方では冬支度だ。22日に、平安神宮の時代祭と鞍馬の火祭が始まるが、今年は、コロナ禍で自粛の気配が解けたから、世界中から観光客が押し寄せてどれほどの大賑わいになるのか興味深い。23日が旧暦の9月9日で、重陽の節句にあたる。29日が旧暦の9月15日で満月。晩秋の名月。27日が十三夜。

神嘗祭は、伊勢神宮でその年の新穀を天照大神に奉る祭典である。神代の昔に、五穀の種を得られて、天狭田長田(あめのさだのながた)に播かれて収穫されたのが、瑞穂の国の農産の大本とされた。昔から伊勢神宮の第一の大祭である。神嘗祭の当日は、天皇陛下は伊勢神宮を遙拝して、賢所において新穀をお供えし、皇后陛下などの拝礼も行われる。賢所の神嘗祭は、明治4年9月17日(旧暦)に初めて行われた。明治5年の改暦の後、新暦の9月では新穀の登熟が不十分であるというので、10月17日に改められたのである。

10月の天候は、大陸の高気圧が、いつどれほどに発達するかにかかっている。例年よりも早ければ、秋の長雨が早く開ける。今年の夏は、本当に暑い夏であったから、その分、秋の到来も早い可能性が高い。9月に日本列島にいくつかの台風が来襲したが、下旬の台風はもう太平洋に押し出されて、日本列島に上陸することもなかったから、本当に秋らしい十月になる可能性が高い。しかし、それでも「女心と秋の空」といわれるように、澄み切った青空が局地的には急変することもあるし、日中の気温がかなり昇っても夕方には冷え込むことも多いから、コロナウイルスはもとよりだが、風邪など引かないように健康に注意する季節でもある。天気も10月中旬には安定して晴れの日が多くなる。この時期に奈良では、正倉院の曝涼(ばくりょう)が秋の年中行事として行われている。曝涼とは、夏または秋に収納している図書、衣類、道具などを日にさらし風を通すことであるが、正倉院の宝物などの曝涼は、陰干しすることである。 正倉院の宝庫は、昭和37年に完成して、活性炭のフィルターを通して空気を浄化しいるから、昔風の曝涼は必要はないが、調査研究の目的で開封され、一部は、奈良の国立博物館で展示して一般に公開されている。最近では東京上野の国立博物館でも展示されたことがある。1200年に及ぶ、正倉院の曝涼の歴史は、開封には必ず天皇の勅使が派遣されて、勅封紙を点検して、閉封にはまた勅使が勅封紙を持参し封印するという儀式が行われたのである。正倉院の御物が守られたのは、校倉造りという、湿気を防止する独特の木造建築を原因とするばかりではなく、昔のままの姿で無事に保存伝えられたのは、勅封という制度によって公開を厳しく制限したおかげであるとの指摘が有力だ。

国民体育大会は、戦後、国民気力の高揚を目的として創設されたもので、最初の大会が戦禍を免れた京都市を中心にして開催されたのが最初であった。コロナ禍があって延期されていた第75回の国民体育大会が、鹿児島県で開催されている。2023年からは、国民体育大会の名前が、国民スポーツ大会と名称が変更されることにもなっており、国民気力の高揚とは目的が異なる新たな外国勢力の影響と要素が加わった可能性もある。国際オリンピック委員会が、テレビの放映権料などをめぐって巨大な利権がある団体として批判されることがままあるが、外国語で「スポーツ」の名前が冠せられたことに、なにか本質的な改変改悪?があったことを感じるのは、筆者ばかりではなさそうだ。

春の七草は、せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、で、万葉集で山上憶良が選定した秋の七草は、萩、朝貌、葛、藤袴、女郎花、尾花、撫子、である。春の七草との違いは、万葉集の秋の七草は、支那原産である可能性が高いことである。菊も、ルースベネディクトの本の題名「菊と刀」のように、日本の社会矛盾や非合理の象徴のように考える向きもあるが、もともと菊は日本の固有の花ではなかった。8世紀の終頃になって支那から輸入された渡来植物である。日本の文化の特徴は、「醇化」という言葉に象徴されるように、波状的に浸透してくる外来文化を自家薬籠中のものとしていく。貪欲かつ注意深く摂取する力が、「日本的なもの」の本質である。万葉集に菊の花を題材にした歌は一首もない。同時代の漢詩集である懐風藻に菊を題材にした六首がある、

菊の花が、皇室の紋章なったのは、明治元年の太政官布告によるものであるが、プッチーニの蝶々夫人のお菊さんにもつながることであった。菊は中国では、別名黄花といっているが黄色い色をもてはやしたためであるが、日本では平安時代から白菊が大切にされた。古今集に歌われた菊は白菊である。この頃から、中国渡来の梅よりも桜が愛好されるようになるのも、なにか軌をいつにするところがあったようである。ともあれ、日本は、外国文化を自らの血となり肉とすべく、本当に受け容れることに長い長い時間をかけて、しかも、必要がなくなればさっさと捨てることがままあるようだ。