株式会社レックス

『グローバル化する寿司の社会学』を読んで

2023.09.21

『グローバル化する寿司の社会学』を読み終えた。名古屋大学で社会学を専攻し、現在は中部大学で助教授をしている王昊凡(おう・こうはん)が、自身の博士論文をもとに、上海を例に取り、日本の寿司店がどのようにグローバル化されているかを明らかにしした研究書だ。数か月前に新聞の書評で存在を知ってから「これは読まなければ」と思っていた。なぜなら、私自身イタリア留学時代に寿司店でウェイターとして長年アルバイトをしていたし、働き始めた当初、次から次へとオープンする寿司店に対し、得も言われぬ戸惑いを覚えていたからだ。

本の内容はというと、食文化のグローバル化の象徴的な例としてマクドナルドを取り上げ、その画一化された広がりと比較しつつ、上海の寿司店で聞き取り調査を行い、その多様性を浮き彫りにするというもの。具体的には、店舗の種類を高級寿司店、一般寿司店、対面型回転寿司店などに細かく分類し、さらにそれぞれの料理提供のプロセスや職人の養成方法を取材している。

特に私の興味を引いたのは、上海の寿司店のメニューである。王はキャタピラーロール、レインボーロール、スパイシーツナロールが世界の三大定番ロールであるという先行研究について言及しつつ、上海におけるオリジナルロールを紹介している。

まず外国の寿司店初心者の方のために、これらのロールについて説明しておこう。要はカリフォルニアロールのバリエーションである。いわゆる裏巻きで、外側から順番に酢飯、海苔、カニカマで構成されている。カニカマの部分は、店によって若干異なる。このカリフォルニアロールの上に様々なトッピングを載せることで多様なロールが完成する。アボカドを載せて芋虫に見立てたのがキャタピラーロール、アボカドだけでなくマグロ、サーモン、ホタテなど色とりどりの具材を載せたのがレインボーロール、カニカマの部分をマグロとスパイシーソースにしたのがスパイシーツナロールだ。

これらがいわば外国寿司のスタンダードで、加えて上海ではオリジナルロールが開発されている。藤原紀香ロール(鰻、チーズ、カニカマを裏巻きにして揚げたもの)、中国で人気のセクシー女優の蒼井そらを冠にした蒼井先生ロール(サーモン、チーズ、アボカドを裏巻きにして揚げたもの)などなど。そのネーミングセンスから、日本文化への近さを感じる。

イタリアで人気の天ぷらロール

イタリアの寿司店はというと、カニカマの部分に天ぷらを加えで裏巻きにし、酢飯の外側に天かすをまぶした天ぷらロールが定番だ。サクサクした触感はほとんどスナック感覚で食されている。子供からも人気で、合わせて飲むのはお茶やビールではなく、コカ・コーラだ。店によって名前は「カリフォルニア・クランチー・天ぷら」「バンザイロール」などに変化するが、いずれも上海のような一歩踏み込んだ名前はない。寿司店は人気ではあるものの、イタリアでは中国ほど日本文化が浸透していないことの顕れとも言える。

しかし、外国寿司のメニューはなぜここまで日本のそれと違っているのだろう。マクドナルドやケンタッキーでも、各国に合わせてそれなりのバリエーションは見られる。例えば日本における月見バーガーのように。だが、これまで見てきたロールは、本来の寿司の原型がほぼ認識できないほどに変化してしまっている。それに留学時代の私はひどく戸惑ったのだった。多数の寿司店で打ち出される異形の寿司を見るたびに、これで本当にいいの?という思いがあった。たがそれも最初の数年の話。イタリアに染まり切った私は、喜んで天ぷらロールを食べるようになってしまった。割り切ってしまえば、これはこれでおいしいのだ。

そんな自分の思い出と『グローバル化する寿司の社会学』を合わせて考えたのは、寿司は弱い外来種だということだ。ハンバーガーは強い外来種で、外国に行っても原型を残したまま、その地にしっかりと根を張る。いっぽう寿司は、日本の寿司のままでは外国では生き残れない弱い外来種なのだ。生き残れない理由は、土地の人間の嗜好と、適正価格で食材が確保できるかどうかという事情が大きいように思う。ゆえに勝手に強い外来種だと思って外国で寿司を目にすると、あまりの変わりように驚いてしまう。だがそこは憤慨せずに、多様性の在り方だと思って、ぜひ試しに天ぷらロールを注文してみてほしい。

二宮大輔(翻訳家・通訳案内士)

2012年ローマ第三大学文学部を卒業。観光ガイドの傍ら、翻訳、映画評論などに従事。訳書にガブリエッラ・ポーリ+ジョルジョ・カルカーニョ『プリモ・レーヴィ 失われた声の残響』(水声社)、クラウディオ・マグリス『ミクロコスミ』(共和国)など。