2023年8月 歳時記
2023.07.26
今年の東京の梅雨は曇天が続くばかりで、本当に気温の高い梅雨で、大雨が降るでもなく、「梅雨の晴れ間」もなかった。何年か前には、九州の肥後・熊本の河川が暴れて、特に球磨川があふれて人吉や八代の町が濁流で水浸しになったが、今年は北九州が水浸しになり、東北の秋田で水害が発生した。ことしは、武漢ウイルス禍も収まってきたことで、大水が出て伝染病が発生しやしないかとの心配が先に立つことは無かった。お隣の国では、異常な大雨があって揚子江を遮って建設された三峡ダムが、治水の役割をはたすどころか、下流の大都会をかえって水浸しにしたのではないかとの怨嗟の声と、もし決壊したらとのホラーストーリーがちらほら聞こえるくることが数年前にはあったが、今年はウクライナの戦争のせいで、世界的な食糧不足になるかもしれないとの話で、日本も天明の大飢饉のことを思い出して、食料の確保のための策を考えた方がよさそうだ。新型コロナウイルス禍があって、ソーシャルディスタンスなる横文字の言葉が日常語になった。「間合いをとる」と日本語で言えばわかりやすいものを、2メートル離れろとか杓子定規になると却って混乱した。マスク着用のお達しなどは酷い話で、量が絶対的に不足して、内閣総理大臣が所帯に2枚ずつ配布するという前代未聞の施策が行われた。しかも、マスク2枚を配達するのに、民営化された郵政は、業務運航に手間取ったか、2か月以上も時間がかかる始末で、しかも、お隣の国は対日輸出禁止の戦略物資に指定するという奇策に打って出た。仏教を馬鹿にしたような「三密」という言葉も流行ったが、筆者の友人などは、「集近閉」と言い換えた方がわかりやすいのではないかとも戯言?讒言?もあったが、、コロナウィルスは、ようやく第五類となって、ただただ気温が高い、異常に暑い夏となった。
疫病退散祈願が目的だったはずの祇園祭なども復活し、東北のねぶた祭りも8月には始まる。花火大会は、コロナ禍の最中に全国でゲリラ的に開催して士気高揚した企画もあったが、散発だった。今年は、隅田川の花火大会など大きな花火大会も久しぶりに開催される。運動会、文化祭、大相撲、野球、居酒屋と、新型コロナウイルスは、日本の伝統文化の力を弱めた可能性すらあるが、コロナ禍が遠のいたせいで、季節感が薄れていた歳時記も書きやすくなった。遠野物語を書いた柳田国男の命日が8月7日だ。日本の伝統の力を考える月でもある。
8月は、やはり先祖や身の回りで亡くなった方々の事を思い出し、その御霊に拝礼する季節にしたい。コロナ禍の感染が続いて、東京がニューヨークのようになるということはなかった。東京大学の学者の扇動は間違っていた。サイエンス・科学を科(とが)の学と翻訳した明治の日本人は大したものだ。いかなる疫病も、サイエンスで分析して対処して、人智を結集して解決策を考えていく以外にない。安易な希望的観測はもとより、恐怖心で判断力を失わせてしまうような新自由主義のショックドクトリンなどめっそうもない、信じてはいけない。コロナウイルスは、世界的には、終息の方向に向かっていることは間違いない。日本の際立って低い死亡率は、「僥倖」であり、「天祐」でもあった。そうした日本の、世界でも抜きんでた衛生環境を評価して感謝して行動することが大切である。日本の国力は、コロナ禍以前よりも急速に期待感が高まって上昇機運にあることは間違いない。米国と中国とが蜜月関係にあったが、世界情勢は急展開し、米国と中国がこれほど対立することを予想した向きがあっただろうか。大国のはざまにあった日本にもっと指導力をと期待する勢力が世界中で確実に増加している気配だ。
旧暦7月15日が、8月30日にあたり、旧盆だ。子供の頃に、お盆の時だけに自分の家にもどる先祖の霊を迎えに、集落のはずれにある墓場まで行ったことがある。姿が見えるわけではないが、お線香を点しながら夕方に少しは海風がはいるようになって涼しくなった坂道を歩きながら、ご先祖様がちゃんとついてきているか、後ろを振り返ってみたこともあった。実家で三夜をすごした御霊を送り出すために焚く火を送り火というが、京都の大文字の五山送り火ならずとも、16日の夕方には、送り火を焚く場所もない都会生活の中で、高級品の伽羅白檀のお線香を買い求め、火を点し、心静かに祈りを捧げる時間がほしいものである。いざたまへ 迎え火焚いて まゐらせん 正岡子規の句がある。
8月23日頃を処暑という。このころから、朝夕には涼風が感じられるようになる。ひぐらし蝉が鳴き始める。収穫の秋、実りの秋も間近になる。処暑の処とは「とどめる」という意味で、勿論九月に入っても残暑が厳しくても、とんでもない暑さは、もうこれ以上はないということだろう。繰り返すが、コロナ禍が世界的に終息して、日本が活動再開する日が始まったようだ。きっとこの8月には、本格的に始動する。