2023年3月 歳時記
2023.02.20
万葉集には、梅を詠んだ歌が120首もあるという。秋の七草の萩を詠んだ歌141首に次いで、桜を詠んだ歌40首を圧倒的に上回る数である。ところが、100年後の古今集になると、桜が100首以上、梅が20首たらずに逆転するのは、奈良から京都に遷都した時は、宮中にまだ梅が植えられていたが、火災に遭って「左近の桜」に植え替えられて以来、日本を代表する花が桜になったとの説が有力である。
桜には、匂いがほとんどないが、梅には馥郁(ふくいく)たる香りがある。悪魔祓いになるような香りで、梅の一枝を、女は髪に、男は冠に挿頭(かざ)す習慣があり、やがて簪(かんざし)というようになった。後世の銀の簪などは、寸鉄を帯びていない女性にとっては護身用として必需品でもあった。筆者は、ふるさとの島を離れてヤマトゥに出立する際に、琉球独特の銀の簪(ファージという)を祖母から渡されて、枕の下に入れて寝なさい、暴漢が襲ってくるときは、これで刺すことができると、お餞別を貰ったことがある。
2月の19日頃を「雨水」という、雪が溶け始める季節とされるが、天候が不安定となって、春の訪れをためらわせるような大雪が関東地方に降ったりすることもある。去年は、2月の中旬に、北陸地方では春一番の南方からの強風が吹いたが、春一番が早くても、春の到来が早いとは言えないのであって、春三番が吹いてようやく本格的な春になるのだ。筆者は、毎年、海の花を、大田区の池上本門寺近くの梅園か、世田谷区豪徳寺近くの梅園で愛でることにしているが、満開になるのは、やはり新暦の3月初になってからであり、新暦の桃の節句は、「梅の節句」と言う方が現実の花の季節にはあっている。
春分の日は、3月21日にあたるが、太陽が真東から昇り、真西に沈み、昼夜が等しくなるから、仏教では、煩悩の此岸から、知恵の彼岸へ渡ることができるようになる季節が始まったとする。ちなみに、此岸から彼岸へ渡るべく努力することを、「波羅密多」と言うのだ。
その春分の後に、思い立ったように降る大雪があって、雪国の越後では「桜隠し」と呼ぶ。3月の大雪を、青森では棚はずし、秋田では鶴子落とし、兵庫では、なんと、怖い?!、小鳥殺しと呼ぶそうだ。
3月の花言葉を、瀧井康勝著「366日誕生花の本」(日本ヴォーグ社刊)に拠って、楽しんでみたい。3月1日、房咲き水仙 花言葉 自尊、「二片のパンを持つものは、その1切れを水仙の花と交換せよ。パンは肉体に必要だが、水仙は、心に必要なパンである」。イスラムの教えである。3月2日、花きんぽうげ、美しい人格、「日が欠け始める頃に、この花を首にすり込むと、効くという伝説があります。何にって、ーーきちがいに」。3月3日、れんげ草、「私の幸福、淡紅のれんげ草の原っぱ。この花畑で遊んだことのあるひとは幸せ」。3月4日、きいちご、愛情、「春に花が咲き、5月頃には実がじゅくす「来苺」。
3月5日、やぐるま草、幸福感、「ドイツの国花、プロシャの王室の花、可憐なたたずまいだが、いかめしい」。3月6日、ひなぎく、明朗、「ローマ神話の、美しく可愛い森の妖精ペルデスがひなぎく」。3月7日、たねつけばな、燃える思い、「春、籾を水につけ発芽を促す頃、花をつける」。3月8日、栗の花、真心。栗の木の大木は、世界各地で大事にされている。その実は神聖なたべものである。3月9日、からまつ、大胆。唐松は、高さ30メートル以上にもなる、大木。威風堂々である。ヨーロッパでは、多くの街路樹がこの唐松。
3月10日、にれの木、高貴。北欧神話では、女の着物をにれの葉でつくったので、女をエンブレイ(にれのこと)といい、男をアース(大地の意)と呼ぶ。3月11日、にがな、質素。3月12日、やなぎ、愛の悲しみ。黒部地方に、夫婦柳のッたたりの話があって、切り倒した16人が怪死委したことから、16人谷の峡谷があるという。3月13日。野かんぞう、愛の忘却。英語でDay Lily と言うが、朝に開花したら夕方にはしぼみ、夕方に開花すると朝にはしぼむ短い命の花。3月14日、アーモンド、希望。アーモンドの花は、男の罪を許す印だそうです。
3月15日、どくにんじん、死も惜しまず。ヨーロッパでは魔女の持ち物と言われ、けいれん毒がある。3月16日、はっか、美徳。良い香りのするミント。ハッカ油は、日本産が最高級とされ、世界に輸出されていた。ペパーミントは、西洋ハッカの葉である。3月17日、豆の花、必ず来る幸福。豆の歴史は、メソポタミア文明に遡る、人類のタンパク源である。3月18日、アスパラガス、無変化。多年草の植物で、秋には茎や葉は枯れてしまうが、翌春に根株から太い若茎が出てくる。この部分こそが食用のアスパラガスだ。3月19日、くちなし、とてもうれしい。天使がもってきた花。
3月20日、チューリップ(紫)、永遠の愛情、「チューリップの花の色で、気持ちを表現する。赤、白、黄色は、貴方に夢中、程度の信号だが、紫となると、焦がれている程の強い信号となる」。3月21日、さくららん、人生の出発。近頃人気の観葉植物である。3月22日、ゼニアオイ、恩恵。ぜにあおいは、薬用植物で、のどや消火器の炎症、歯痛や眼病にも効くとされた、マシュマロのマロが、ぜにあおいで、マシュマロとは、沼(マーシュ)の葵という意味である。3月23日、グラジオラス、情熱的な恋。ラテン語で剣という意味がある。グラジオラスの本数は時間を示すから、密会する為の怪しい花束になる。
3月24日、はなびし草、希望。米国カリフォルニア州の州花。華やかな花だ。3月25日、つる性植物、美しさ。ブドウ、朝顔、時計草、やまふじ、アイヴィー、ホップなど、蔓植物は多い。就中、ブドウは、生命の樹ともされる。西洋世界では、赤い葡萄酒は人間の血の色と理解され、水を加えて頒ちあい、人間の共同体の象徴とされる。
3月26日、さくら草(白)、初恋。プリムローズ。もともとは人間だったと言われる。純情可憐な花だ。3月27日、きんちゃく草、援助。3月28日、はなえんじゅ、上品。マメ科の、北アメリカ原産の植物。淡いピンクや紫の花が優美である。3月29日、ごぼう、いじめないで。日本では、ごぼうは野菜と考えられているが、欧米では、薬草と考えられている。大東亜戦争中に、捕虜にごぼうを食べさせたら、木の根っこを食べさせた、虐待したと、戦犯に捕らえられた方からすれば、泣くに泣けない、食文化の違いもあった。日本ではごぼうの花ではなく、根っこの泥を洗って、野菜として食べている。3月30日。えにしだ、清楚。英語で、Broomほうきのことである。魔女が飛ぶほうきは、えにしだの木で作られている。3月31日、くろたね草、夢路の愛情。種が黒いから、江戸時代後期に渡来した植物にこの名がついた。ヨーロッパでは利尿剤として古くから薬草である。
最後に、左近の桜が、もとは左近の梅であったと述べたが、右近の橘にも触れておこう。橘は、垂仁天皇の御代に田道間守が、常世の国から持ち帰ったものだと伝えられている。万葉集には橘を詠んだ歌が60数首もある。橘は、ミカン類の総称だったと言えよう。聖武天皇が、葛城王(後の左大臣橘諸兄)に橘の姓を賜ったが、その時の御製がある。橘花は実さへ花さへその葉さへ 枝に霜ふれどいやとこはの木(万葉集)とある。花ばかりか、酸っぱい実も尊重されたようで、右近の橘を殿上人が採って食べていたとの記録もある。
現在の皇居の宮殿にあって、桜と橘に代わって、正殿中庭の左右に、紅梅と白梅が植えられている。正殿左側に、紅梅五本ガ集中して植えられ、右側に白梅、樹齢は200年以上と推定される大木が一本植えられている。紅梅は大木ではないが、真紅に映えるという。