株式会社レックス

2023年1月 歳時記

2022.12.26

正月には門松をたてる家庭も都会では少なくはなったが、暮れのスーパーでは玄関のドアに貼り付けたりする松飾りが所狭しと並べられ、売られた。門松は、松は千歳、竹は万代と、正月に神様が人間世界に降り立つことを象徴することで、斜めに切った三本の竹は、「笑う門には福来たる」と、人の笑い顔に見える形だとされる。梅はもともと中国から日本に渡来した植物だから、門松が日本の習慣になったのは、室町時代のことで、神代の大昔からのものではない。

日本には、八種類の松がある。黒松、赤松、姫小松、這(はい)松、琉球松、屋久種子五葉、朝鮮五葉、である。松族マツ科ではないが、ごくごく近い松の仲間として、椴(トド)松、蝦夷松、唐松がある。特に黒松は、本州北部から九州の屋久島までの広がりがあり、また、赤松は、その林で松茸がよく採れることで有名である。また播磨国を中心として、赤松氏を名乗る豪族の名も知られている。

唐松の林と言えば、堀辰雄の小説を読めば、軽井沢の唐松林の枝を渡るさやさやとした風の音が聞こえるような気になる。奄美大島には、琉球松の原生林があったが、伐採されて、日本の鉄道網の枕木になり、それを手がけた鹿児島の実業家は、日本屈指の資産家となった。五葉の松からは、朝鮮半島と日本列島の関わりが推測できる。

松は、海岸線に植えられ、景勝地の主役になっていることが多い、潮風に直接さらされても生育するから、防風林や防潮林として、日本列島のいたるところの海岸に植えられてきた。松原という地名があちらこちらにある。小さな島の岩山の頂上にも生えることができるから、松島という名前の小島も日本のあちらこちらにある。佐賀県唐津の虹の松原、静岡県の美保の松原、福井県の気比の松原、が日本の三大松原と呼ばれるが、それはそれは、春夏秋冬といつの季節にも映える美しい松の林の絶景となっている。東京では、皇居前広場など、江戸城の前の渚に植わった松原の名残だと思われるが、徳川幕府の治山治水能力を誇示するかのようだ。白砂青松、と言う日本の景観を象徴する熟語表現があるが、実は、松原は、江戸時代に作られた人工景観であり、日本の古来の植生による景観ではない。

確かに防潮林、防風林としては機能したが、大津波には、松原は弱かった。東日本大震災で、仙台平野の松林などは、根こそぎ高波にさらわれてしまった。だから、代わりにコンクリートの防潮壁を作る動きもあるが、それよりも、根を深く大地におろして津波の襲来にもびくともしなかったタブノキやウラジロカシといった、つまり、日本の古来からの植生の林に戻すべきだとの意見も根強い。実際に、タブノキで、津波にさらわれた木は全くなかったとのことだ。

松は、松脂(まつやに)があり、よく燃える。バチバチと音を立てて燃えるほどで、薪としても有用な資材だったが、近年の日本ではガスや電気が普及して、薪炭が利用されることはほとんどなくなった。松脂は、紙の製造過程で、にじみを少なくする材料として使われて、ロジンと呼ばれる。バイオリンの弓や弦の滑りをよくするためにも使われている。松の葉などは、便利な火起こしのために集められ売買されていたが、最近では必要がなくなったので、赤松の根の周りが富栄養化して、松茸の収穫が悪くなっているとのことだ。

令和5年の年明けだ。戦争があった昭和、大災害が相次いだ平成とあり、元号に込められた思いとは、反することがおきる可能性はあるが、令和の典拠となったのは、武人であり歌人であった大友旅人が、太宰府に流されているなかで、正月に梅花の宴という歌会を楽しんでいる場面を書いた万葉集の序文である。旅人は、藤原氏との政争で敗れた長屋王との関係で太宰府に左遷されていたから、都に帰れる希望を詠んでいるとの解釈がある。令和とは、平和を希求するとの意味になる。コロナ禍のように、令和の時代を疫病が襲ってきた。しかし、これも長続きはしない。日本語で書かれた古典中の古典、万葉集から選び出された漢字二字で作られた希有の元号が採用された御代である。梅の花にも配慮を見せるきめ細やかさがある。令和5年は、日本が、米中関係を含めた戦後を克服する年になろう。昨年2月に勃発したウクライナとロシアの戦争は、まもなく1年になる。戦後体制を作った国際連合による平和維持体制は瓦解したことは、むしろ日本が敗戦国の汚名を返上して、自立自尊の平和愛好の独立国家として、軍事紛争の即時停戦を仲介するような国際貢献を果たす役割が認識される年の幕開けだ。米国では、中間選挙があり、下院では、共和党の多数派が成立して、その議会が1月7日に開幕する。キリスト教の東方教会では、クリスマスにあたる、平和を祈る日だ。プーチンもゼレンスキーも、クリスマス停戦ができないのであれば、とてもスラブ民族主義を主張することはできない、国際拝金勢力と軍産複合体の手先でしかないのかもしれない。

令和5年、朝は明けたり、遮るものなし。春に田畑を墾(は)る。