株式会社レックス

2022年6月 歳時記

2022.06.13

6月1日は、電波の日である。コロナ禍以前は、電波の日・情報通信月間記念中央式典が、主催者が、総務大臣と情報通信月間推進協議会会長の連名で、帝国ホテル3階富士の間で開催されていた。

電波の日は、昭和25年6月1日に電波三法(電波法、放送法、電波監理委員会設置法)が施行されたことにちなみ、翌年の1951年に電波記念日として制定されたことに始まる。米国の連邦通信委員会に倣ったか独立行政委員会としての電波監理委員会は昭和27年には廃止されたが、電波行政が郵政省に承継され、昭和29年から、新たに電波の日として制定された。1985(昭和60)年の電気通信自由化を契機として、郵政省は6月1日から15日までを「テレコム旬間」として、電波のみならず情報通信の普及と振興を図るイベントを全国各地で開催して、平成6年からは、5月15日から1ヶ月間を「情報通信月間」と拡充した。

帝国ホテル孔雀の間における祝賀パーティーは、その経費を、電波協力会という放送関係者などの組織と、電気通信自由化以降の郵政省関係の財団法人や社団法人が中心となっている情報通信月間推進協議会の組織とが協力して負担した。日本電信電話公社が民営化されたのが、1985年4月の電気通信事業法の施行によるが、同時に端末の自由化も行われた。

電話の全国普及が達成したのが、1978年3月であった。申し込めば電話がすぐつくようになった。「加入電話の積滞解消」と呼ばれた。グラハムベルの電話機が発明され、ボストンで行われた、ベルの電話の送話実験に、留学生としての小村寿太郎と伊沢修二が立ち会ったことで、英語とアメリカ原住民のイロコワ語についで、電話で話された第三番目の言語になったことや、電話機が翌年には早々に日本に輸入されたことは有名である。西欧以外では初めて電話を全国普及させた国となったことにも日米友好の前史があった。ベルは日露戦争に際して日本を資金的に応援していたことが、電話100年を期してアメリカ電話電信会社(ATT)が編纂した、グラハムベルの伝記「孤独の克服」に記載されている。

日露戦争の講話を仲介したのは、小村寿太郎のハーバード大学での同窓で、後に大統領となったテオドアルーズベルトであったことは言うまでもない。負け戦を外交を繰り広げて勝ち戦にした小村寿太郎が、取り分が少ないとする日比谷焼き討ち事件に遭遇する、帰国後の失望の度合いは、推し量るべくもない。日本は、日露戦争から坂道を転がるように満州事変、日華事変と、敗戦の道を歩む。

令和4年6月1日は、旧暦の5月3日にあたる。さみだれを集めてはやし最上川とあるが、5月の長雨、梅雨は実は旧暦の5月に降る雨のことである。五月晴れというのも、新暦の5月の晴れ間ではない。新暦の6月の梅雨の晴れ間を五月晴れというのである。

6月6日は、芒種という。芒とは、穀物の殻にある突起物のことであるが、種まきをはじめる季節である。

6月11日が、入梅である。日本列島は長いから、北の北海道は亜寒帯、南の南西諸島は、亜熱帯に属する。北海道には、梅雨はないとされていたし、奄美と沖縄、宮古、八重山では、梅雨入りが5月の中旬からとされ、今年は、奄美地方が、早々に梅雨入り宣言をしたから、逆に本州が入梅する頃には、南西諸島では入道雲が広がる真夏となっているだろうし、北海道でも地球温暖化とやらで大雨が降り、水害の心配をする必要もあるこの頃だ。

6月21日が夏至。昼が1年で一番長い日である。梅雨の真っ最中になる。田植えの真最中にもなる。暑さが本格化するのは夏至をすぎてからだ。6月末に梅雨明けで日増しに暑くなる。食中毒が多い季節だ。寝冷えをしないように。梅雨の晴れ間の色鮮やかな木々の緑と薫風と、空の蒼さを背景に立ち上がるような真夏の白雲を愛でることにしたい。