株式会社レックス

カギカッコの呪縛

2022.04.05

日本語ネイティブはカギカッコが大好き?

日本語ネイティブはカギカッコが大好き——そう言われてピンとくる人はそう多くはないだろう。しかし翻訳業界に身を置く人間にとって、この命題は真である。とりわけ企業広報に関する日本語には、カギカッコがあふれている。例えば、下記に示す日本企業の理念には、二重のカギカッコが2回、一重のカギカッコが4回も出てくる。

『利益三分主義』は創業者の信念を意味する。二重のカギカッコで括られているのは、一種の固有名詞として扱うためであろうか。一方、一重のカギカッコで括られている用語は基本的にすべて普通名詞だ。しかし「事業への再投資」「お得意先・お取引先へのサービス」「社会への貢献」は、『利益三分主義』を構成する三つの要素であり、「おかげさまで」は企業の理念を説明する上で重要なコンセプトである。普通名詞であるにも関わらず、それが特別な語であることを強調したい場合、一重のカギカッコを使用していることが推測される。

 

カギカッコ=ダブルクォーテーション?

問題はこうした文章を英訳する際におこる。日本語ネイティブの「カギカッコ志向」が、英訳をチェックする際も発動してしまい、原文のカギカッコを、英語のダブルクォーテーションに置き換えたくなる誘惑にかられるのである。下記の企業理念を見てみよう。組織よりも個人の尊厳を重んじるという内容で、「個人」を意味する individual と、「組織」を意味する organization がいずれもダブルクォーテーションで括られている。

「個人」も「組織」も普通名詞ではあるが、この対照関係を明確に打ち出したかったのではないかと思われるが、こういったダブルクォーテーションの使用法は、「英語表記の間違いあるある」の代表的なひとつと言ってよい。

 

ダブルクォーテーションの使い方はいかように?

そもそもダブルクォーテーションの主要な用法は、下記のようにまとめることができる。

■引用

In his book, David Crystal argues that punctuation “plays a critical role in the modern writing system.”

■作品のタイトル

The third most popular book of all time, “Harry Potter,” has sold over 400,000,000 copies.

■セリフ

“I just bought a new car, ” said Tracey.

■用語の定義

In this paper, we call these cases “asymptomatic outliers.”

■注意喚起(scare quote)

They “fixed” the problem by ignoring such people.

彼らはそのような人々の存在を無視することで、問題を「解決」した。

注目すべきは、最後の「注意喚起(scare quote)」としてのダブルクォーテーションだ。ここで言う「注意喚起」は「強調」と同義ではない。上記の例に示されるよう「そんなふうに言ってしまってよいかは疑問だが、とりあえず当事者たちはそう言っている」というニュアンスを与える表記なのである。遠回しに皮肉を言いたい場合などによく使用される。

下記 Twitter上の「疑いを示す引用符」も、この scare quote の好例だろう。安心かつ快適な空の旅を強調しようとして、この二つの語をダブルクォーテーションで括った結果、逆に文字通りの意味ではないことが示唆され、読者の不安をかきたててしまっているからである。

 

 

それでも強調したければ

ダブルクォーテーションの用法に、強調は含まれないこと、これは基本中の基本であるのだが、それでも文章内の一部を強調したい場合、どのように対処すればよいのだろうか。某サイトでは、この点について、下記のように簡潔にまとめている(画像下は拙訳)。

 

 

 

 

 

 

 

単語の強調目的でクォーテーションマークを使ってはいけない。ただダメとしか言えない。間違っている。言葉の力をもってすれば余計な書式は不要だ。どうしても何かを強調したいのであれば、ボールド(太字)かイタリックを使おう。アンダーライン(下線)をつけたスタイルは読みにくい。アルファベットの全部を大文字にするスタイルは、文章内で使うには不適当(大声で話しているかのような印象を与える)。

なるほどたしかに、欧米企業のサイトをざっと調べたところ、強調目的と思われるイタリックやボールドのスタイルが見られた。例えば、ネスレのスローガン、Good food, good life。単独で使用される場合は、ノーマルな表記が一般的である(下記画像であればネスレのロゴの隣)。

 

一方、本文内であれば、イタリックで表記されるケースが見られた(ピンクのマーカーをひいた部分が該当箇所)。

同じくネスレのサイトにアップされているQuality Policyの資料を見ると、いくつかのキーワード(Preference & Consistencyなど)は、本文においてボールドで表記されている。

 

とはいえ、今回の調査では、イタリックやボールドの使用例ですら、それほど多くは見られなかった。本文内でもノーマル表記、あるいはキャップローのスタイル(単語の冒頭が大文字)程度に抑えているケースが目につく。まさに「言葉の力をもってすれば余計な書式は不要」なのかもしれない。

最後に、ダメ押しでネスレ日本のサイトを調べたところ、おおもとのスローガンGood food, good lifeの英語表記はボールド。にもかかわらず、日本語にあたる部分は(やはりというべきか)堂々たるカッコ書きの「グッドフード、グッドライフ」。

本文中であればともかく、このレイアウトであれば、カッコ書きにしなくとも、それがスローガンであることは一目瞭然なのだが、、、、日本語ネイティブにとって、カギカッコの呪縛は相当なもので、そこから離れるのはなかなか難しいのかもしれない。