人の心にまかれた種
2021.03.03
年を重ねて面白いのは、分からなかったことが分かるようになることだ。10代20代の頃は長く生きたら感性がにぶっていくと思っていた。でも、色んな経験をすると、それまでなかった視点が生まれたり、新しい価値観が生まれたりして理解できることが増えていく。それがすごく面白い。
大学では英語を学んでいたが、1~2年は午前中が語学の授業で、アメリカだったりイギリスだったりオーストラリアだったりタイだったり、色んな先生が授業をしていた。ある日、若いイギリス人の先生が「今日は英語の歌を聞いて歌詞について学ぼう」と言ってスティングの「Englishman in New York」を流し、歌詞の内容について説明してくれた。ニューヨークに住むイギリス人の歌で、イギリスの文化とか紳士はどうとか、アメリカとの違いをくどくど書いた歌詞だった。曲調も暗くて、「つまんない歌だな」と思った。イギリス人の先生がなぜその歌を選んだのか分からなかった。
その7年後くらいに私はアフリカ大陸のある国に住んでいた。日本とは文化の全く違う国。アジア人は少ないから珍しくて、町を歩くと通り過ぎる人達が私を指して「白人!」「中国人!」と言うようなところ。中国人の話し方をまねて「チンチョンチャン!」と言われたり、地元の言葉で「白い人」と呼ばれたりする。「日本人なんだからお金持ってるだろ?お金くれよ」と言われたりもした。食べ物も違って、ローカルフードを毎日食べるのはきついから、マーケットで買えるものでどれだけ日本で食べるものと似たようなものを作れるかいつも考えていた。その国には原子力発電なんてなくて水力発電しかなかったけど、雨が降らないと干上がって水の量が減れば生み出せる電力も減るから、よく停電になった。計画停電がよくあって、でも日本とは違うから計画された時間を過ぎても停電したままなんてしょっちゅう。計画停電の予定じゃない日に停電すると真っ暗でパソコンも使えなくて(20時間くらい停電してたりするから充電もなくなる)イライラした。Wi-Fiなんてないから家族や友達にメールで連絡したいときはバスに1時間乗ってネットカフェに行かなければならなかった。
そんなふうにアフリカで過ごしていたある日、タクシーに乗っていたら、車内でかかっていたラジオから「Englishman in New York」が流れた。大学でイギリス人の先生が教えてくれたあの歌だ。この歌知ってるなーと思って歌っていたら、タクシーの運転手が「きみはこの歌が好きなんだね!」と言った。好き?私が、この歌を?こんな歌、何年も前に大学で知ったっきり忘れていた。だけど、歌いながら、歌詞が心にしみて、そして、私はあの時この歌詞の意味を全く理解できなかったけど、今私は歌詞の意味がすごく理解できていると思った。あの時私は日本で生まれ育って日本に住んでいるだけだったけど、今は「Japanese woman in Africa」になっていた。歌詞の意味がすごくよく分かった。文化の違う国で生きることの孤独とか、それまで常識であったことがまったく常識ではなくなってしまう心の戸惑いとか、不安とか。ああ、この歌詞はそういう意味だったんだなあ・・・と腑に落ちた。そして、イギリス人のあの先生は、独りで日本に来て、そういう孤独をたくさん感じていたのだと、その時に初めて理解した。
そしてその日から、「Englishman in New York」は私が大好きな歌になった。
その時はなにも起きなくても、その時はなにも思わなくても、その時は芽を出すことがなくても、誰かの心にまいた小さな種が、長い年月をかけて誰かの中で花開き、心を動かす時がくることがある。そして心の救いになることがある。
自分の人生を通してそんなことを知れる。年を重ねて幸せだと思うことの一つだ。